歯科医院のホームページで「痛くない歯医者」や「無痛治療」というコピーが決まり文句のようになってどのくらい経つでしょうか。Web集患時代にこうした言葉が歯科医院を選ぶ基準の一つになるのは、当然「歯医者の治療は痛いのが当たり前」という時代があったからです。
治療技術が進み、患者さんのデンタルIQも上がって「痛くない」はある程度の常識であり、歯科治療には「削らない」を含めた多様な選択肢があるのだということも知られつつあります。
そうした時代背景の中で最近の患者さんが気にし始めたのが「感染対策上、安全であるか」という基準です。2014年5月~6月にかけて読売新聞で3回に渡って採りあげられた日本の歯科医院のずさんな滅菌状況についての報道は、歯科関係者と一般市民に波紋を投げかけました。以来、一般の患者さんの中で「安全であるか」という価値観は大きくなりつつあります。
タイトルに挙げた質問–「1日にどれぐらいの頻度で手袋を交換しますか?」への答えが示すものを見ていきます。
日本の歯科医師は患者の感染リスクをどう扱っているか
読売新聞2014年5月18日の第一面で採りあげられた「歯歯削る機器、7割使い回し 滅菌せず院内感染懸念」(以下に抜粋)の報道内容が示す事実は非常に危険な内容でした。
歯削る機器、7割使い回し 滅菌せず院内感染懸念
・歯を削る医療機器を滅菌せず使い回している歯科医療機関が約7割に上る可能性のあることが、国立感染症研究所などの研究班の調査でわかった。
・患者がウイルスや細菌に感染する恐れがあり、研究班は患者ごとに清潔な機器と交換するよう呼びかけている。
・調査対象は、歯を削るドリルを取り付けた柄の部分。歯には直接触れないが、治療の際には口に入れるため、唾液や血液が付着しやすい。標準的な院内感染対策を示した日本歯科医学会の指針は、使用後は高温で滅菌した機器と交換するよう定めている。
・滅菌した機器に交換しているか聞いたところ、「患者ごとに必ず交換」との回答は34%。一方、「交換していない」は17%、「時々交換」は14%、「感染症にかかっている患者の場合は交換」は35%で、計66%で適切に交換しておらず、指針を逸脱していた。
・調査は、特定の県の歯科医療機関3152施設に対して実施。2014年1月までに891施設(28%)から回答を得た。
・同じ調査は、07~13年に計4回、別の県で行い、使い回しの割合は平均71%だった。
回答率の低いアンケート結果が示す内容を根拠にしたものではありますが、そこに示されていたのは「7割もの歯科医院が、血液にさらされ感染の危険のある機器を滅菌せずに再使用し、患者を院内感染のリスクにさらしている」という事実でした。
その後2年余りの間に各歯科医院の努力もあって感染防止策への意識はずいぶん上がったと思われますが、7割の未対策医院が仮に5割に減ったとしても、問題の本質は何ら解決していません。
患者ごとに汚染された機器を洗浄・滅菌し、使い捨てのコップやエプロン、手袋2~3組を使用して感染防止対策を行った際にかかる経費は400円程度と言われており、これらは保険診療の点数ではまかないきれず赤字診療になってしまいます。もちろんこれ以外に、そもそも機器を滅菌するためには、滅菌用の専門機器に加え、高額なパーツをいくつも購入しなければなりません。しかもこうした費用だけでも患者の了解をとって自費で負担してもらうことさえ、保険治療/自費治療の制度の中で自由にできません。
歯科医師として当然である患者の安全を守ろうとしたら赤字診療を余儀なくさせられ、それができないならば歯科医師としての良心を横に置いて患者さんを危険にさらして治療をしなければならないのです。
こうした状況に対しての歯科医師の対応は大きく分けて3つに分類できると思われます。
- 感染リスクについての知識を得ず(あるいは無知を装い)、患者さんへの感染リスクは考慮しないで治療をする。
- 十分に安全と言えるレベルの感染防止策を行い、生じた赤字は何らかの工夫でやり繰りしている。
- タービンヘッドは使用後にアルコールで拭う、患者ごとに手袋をしたまま手洗いしたうえでアルコール消毒を行い、手袋はなるべく頻繁に交換するなど、「自医院で考える感染防止策」に沿ってできる範囲で行っている。
1は論外ですが、1と3の違いはどうでしょうか?
何も対策しないよりはましですが、こうした処置では感染のリスクを完全に取り除くことができないため患者さんを感染のリスクにさらしている点では同じです。
感染症対策についてはどこまでやれば完璧かという問いへの答えは一つではないと思いますが、自分や自分の家族が患者ならどこまでするか、というのが一つの目安になるのではないでしょうか。
患者さんは真実に気づき始めている
歯科医院での感染の危険性について、患者さんの一部はすでに気づき始めています。
最近では一般向けの歯科専門サイトやSNSの掲示板やポータルサイトの質問コーナーなどに寄せられる質問の中に、こうした感染症の危険についての質問が増えだしています。
実際にSNSに投稿された質問を覗いてみると次のような質問がなされています。
- 歯科医院での手袋は患者ごとに交換されるものなのか?
- どうも自分の通っている歯科医院では手袋が交換されていないようだが大丈夫か?
- 手袋を交換していないことに気づいてしまった。転院すべきか?
- 手袋をつけたままパソコンをさわり、その後で手を洗わずに治療を再開。これはありか?
こうした質問に対して、歯科関係者やそれらしき人からの返答の一例は次のようなものです。
- 感染防止という観点で言えば、手袋をしたままで手洗い・消毒をするだけでは完璧ではない、ましてや消毒液を吹き付けて手をすり合わせるだけでは感染は防げないので、うちの医院では手袋は患者ごとに交換している。
- 患者ごとに手袋を交換するかどうかはその歯科医院の考えによるのでなんとも言えない。
- 転院をしたらいいと思うが、保険診療の範囲でどこまでの感染防止対策を求めるのか。
- 治療後にパソコンで入力をするのは当たり前。不思議な行動ではない。
- そもそも手袋は医師や歯科衛生士の感染予防のためにしているもので、患者のためのものではない。
患者側からすれば“散々な回答”と言わざるを得ませんが、どれもが現在の日本の歯科医院の現状を切り取ったものであることは否定できません。
しかし、上記のような“あいまい”な回答ができるのは質問が「手袋」についてであるからで、仮にこれが「タービンヘッドを交換してないようなんですが、アルコールで拭くだけで感染防止は可能ですか?」という質問ならば、あいまいな返答をしようがないのではないでしょうか。
結局は矛盾を正すしかない。ならば今始めたほうがよくないか
「歯科医師として当然である患者の安全を守ろうとしたら赤字診療を余儀なくさせられ、それができないならば歯科医師としての良心を横に置いて患者さんを危険にさらして治療をしなければならない」。
結局はこの問題にどう対峙するかに集約されると思われます。
2:十分に安全と言えるレベルの感染防止策を行い、生じた赤字は何らかの工夫でやり繰りしている。
歯科医院それぞれの事情がある中、すべての医院が最初からここを目指せるわけではないでしょうが、結局はここを目指して一歩一歩進むしかないのではないでしょうか。
「歯科治療は必ずしも痛くない」「削らなくてもいい治療方法もある」「歯科治療の真髄は予防にこそある」。患者さんのデンタルIQが上がり、歯科治療への価値観が変わっていく中で、いずれ感染リスクに対する常識や価値観も変わっていくことでしょう。
そのときには今始めた一歩一歩の歩みが、考えうる限りの安全の提供というゴールに到達できている可能性は高いはずです。
また同時に、保険治療を選択したばかりに、歯科医院という治療施設で感染のリスクにさらされる患者さん、それをよしとしてしまう院長、その意思に従わざるを得ないスタッフ。
こうした誰も得をしない矛盾した状況に甘んじてきてしまった歯科業界。
この矛盾の是正という大きな課題へ取り組むことこそが、根本解決への唯一の道なのかもしれません。
確かに経済的に余裕のない患者さんは「保険治療」を希望します。しかし感染のリスク回避のために400円を出し渋る人がどれほどいるでしょうか? 制度のゆがみを正し、患者さんが自分の安全のためにできる選択肢を増やすことは、歯科業界が一丸となって、一日でも早く実現したい事柄です。
参照:http://www.fukushige-dc.com/dcblog/?p=172 悲報!中国に完敗!日本の歯科の衛生管理 (読売滅菌報道シリーズ1/3)